2005年08月

2005年08月27日

症状悪化!!

e006a915.bmp2005年1月 症状が悪化し、夜も寝ていられないほど。全身が痛く腰痛も悪化。思考力低下。
汗が出て体全体がコントロールできない感じとなる。
事故当時に戻った感じ。夜寝られないので近くの公園まで散歩し気を紛らわす。
近くになんと公園が4カ所もあり環境がよいことに改めて気づく。
こういう場合周りの人々や、公園や道路やいつも気づかないことが見えてくる。
医療や福祉にも興味を持つ。
特に「病院」「医師」に対しての考えが変わる。
インターネットで調べまくり、ITの情報力に改めて感謝する。

tys0130 at 21:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

だいたいの経過日付2

3234198f.jpg「小康状態つづく」がいつ頃か書き忘れたので、経過日ごと
まとめてみます。

2004年9月4日 「転落事故」G大付属病院で、検査、手当のあと即日退院。
       頭部CT、打撲部レントゲン撮る。
2004年9月6日 自宅近くのKS病院で診察してもらう。
2004年9月8日 痛みが耐えられずG大付属病院へ。抜糸を行う。
       再度CTを撮る。特に異常なしとのこと。整形外科で手当。
2004年9月11日 再診。「診断書」もらう。「約2週間の安静を要す」
2004年9月27日 仕事に戻る。
2004年10月  中旬まで2週間に1回のペースでG大付属病院に通院。
       左手のしびれがとれず再度MRIを撮る。
       かかりつけへと「紹介状」をもらう。
2004年10月中旬 K整形外科に転院する。MRI腰、頸椎MRI撮る。
       週2回から3回。牽引療法、低周波、赤外線治療と投薬。
−−−−−「小康状態つづく」−−−−−
2005年1月 症状が悪化し、夜も寝ていられないほど。全身が痛く腰痛も悪化。思考力低下。体全体がコントロールできない感じとなる。事故当時に戻った感じ。次へ続く。     





tys0130 at 20:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

小康状態つづく3

55a4caf2.jpgこのころは素人療法で、ずいぶん売薬の「鎮痛剤」「温湿布」「胃薬」を買って使っていました。
これが意外と負担です。
特に、医者から「冷湿布」はでていたのですが、肩を温める方が楽でした。
今考えるとこのころが、一番楽な期間でした。
ついつい通院の間隔が開いていきました。回復は順調のようでした。左足の打撲の回復が2ヶ月も過ぎるのに歩く際痛みます。
まあこれは外傷だし若くないからとあきらめていました。

tys0130 at 19:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月25日

手足のしびれでいろいろやってみました。1

2609712a.jpg「K整形外科」で少し気づいたことがあります。
そう患者が減っています。近くに整形外科もありますが、たぶん医療費3割負担になったことが原因かとも思います。
ヘルニアで通っていたときは、待合室に座れないほど患者がいて(椅子は30人以上分ありそう)長い間立って待っていました。
いつもいつもそうでした。
けど様子は変わりゆっくり座れ、スムーズに診察も受けられます。
先生に左手の指先が痛いし腫れも全然引かないし腰の左側、ヘルニアとは違う部分が痛いし腫れていると言うと、左腕に注射を行くたびにされました。
この注射がなんだったか説明はありませんでした。
全然効きませんでした。
他には薬局が表通りに移り大変立派になっていました。
近くに総合病院があるからかもしれませんが、結構沢山の薬剤師さんがいて儲かっていそうでした。
とても感じよく迅速で教育されています。
薬の説明も的確で安心できます。薬局もサービス業ですね。
そういえば「病院」もサービス業にはいると思います。
この時点でも、自分のおかれている事態に気づきませんでした。
左手の腫れが気になり「くっつく包帯」を使っていました。
仕事中もしていたのであまり印象も良くないのですが、周りは事態を知っているので何も言われませんでした。
知らない人には「手をけがした」といっていました。
これが「頚部脊椎症」などのシグナルとは後で知ったことです。オムロンと松下の低周波治療器を両方買い毎日使いました。
これは交換パッドが高く意外と維持費がかかります。
私には、あまり効果は感じられませんでした。
そんな簡単に直るなら医者はいりません。
医者に言われた通りお風呂にゆっくり入り湿布を貼り、まあなんとかやり過ごしていました。

tys0130 at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

「紹介状」をもらう。

大学病院は受診するのに少し面倒です。
まず予約制で結構、向こうのペースで進みます。
時間も大変かかります。病人にはつらいです。
約2週間に1回のペースで通院しました。痛み止めと湿布薬をもらうぐらいでした。左手の親指と人差し指が痛いと訴えるとMRIの予約を入れてくれました。
左手の擦り傷と左足の打撲した後の腫れも少しづつ回復してきました。
全身打撲の痛みもゆっくりとですがとれていきました。
ここまでは順調に事態は進んでいるように思いました。
MRIで頸椎部を撮った後、何ともないと診断され後は、かかりつけの医者があれば転院を勧められました。
じゃあと以前「椎間板ヘルニア」で通い、直してくれた、そのG大学病院卒の院長のK整形外科、脳神経外科(ここは個人病院でありながらMRIをもちリハビリ施設も充実しそこで「ヘルニア」も直ったので信頼していた。
って過去形の理由は後ほど・・)に決めて「紹介状」を書いてもらった。
MRIも貸してくれるとのことでした。
今となって思うに、たぶんこの先生は、後遺症が起きることは知っていたと思う。
ただ整形外科ではなく、脳神経外科で、もう少し丁寧に見てもらえば、早期手当ですんだと今かかっている先生はいっていましたが、まあ得意じゃない分野は医者は関わりたくないのが本音だともいっていました。
10月に入り、K整形外科に転院しました。
またまた会社に説明し、病院用と薬局用の労災書類を用意してもらいました。
これで3カ所、転院しているので事務方も大変だと思いました。
まあ痛いのは、私なのですが・・・早速「頸椎部」「腰部」のMRIを撮りました。背骨が曲がっているね。とか頸椎部も、たぶん加齢のせいでこのくらいなら問題ないとまたいわれました。
この時点で、ヘルニアに似た症状も出てきました。
週1回か2回程度、リハビリ程度で通いました。
その程度でこの時点では仕事も生活も特に支障がありませんでした。
牽引療法、両肩低周波、左足首赤外線治療と投薬治療。
秋もゆっくりと過ぎていきました。紅葉
tys0130 at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2週間の安静を要す

07e9585f.jpg「診断書」は、9月11日にもらいました。
「左下胸、左肘、頸部捻挫、脊部挫傷、頭部外傷」約2週間の安静を要する見込み込みである。」という内容でした。
その後3週間会社は休みました。2週間では働くまで回復しませんでした。
まあこんな大変な3週間は初めてです。
10メートルも転落して生きてるだけ良かったのに、左足が腫れていて左手に擦り傷、頭に縫った後くらいでまあ普通の人みたいです。
骨折でもしていれば分かり易いのですがまあ運良くが実は私にとっては運悪く、夜も寝られないし昼うとうと寝ているのでなんだか時間の感覚もなくといって何もしないでただ寝ているだけで、後で知りましたが、こんな感じて「家族や会社」から怠け者扱いされ自殺する人も多いらしいです。
交通事故などで、むち打ち症で悩んでいる人も多いと聞きますが、自分もそうなっているのにまだ気づきませんでした。

tys0130 at 16:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

診断書をもらう

慈恵

何が即日退院なのか?まず強打した左半身は下にして横になれない。
痛み止めは、いくら飲んでも同じ。湿布もすぐはがれる。
事故の日は9月4日とはこれまたなぜ。
まあそんなこんな人間の限界に挑戦していました。
何日か経過後、近くの「KS病院」の整形外科に具合を見てもらいに行きました。労災の場合保証金として一般的に1万円とられます。
また院外薬局の場合もまた書類がいりない場合はとりあえず10割負担して戻してもらう仕掛けです。
会社からは書類を2通もらわなければなりません。とても面倒です。
幸い頭はクールでしたし何とか歩けるので一人で行動できました。
だが夜寝られなかったりうなったりで、狭いうち故、外に散歩(逃避)して浮浪者のようにふらふらしていました。
その何日か後、寝ていて我慢できず失神しそうなくらいになりタクシーで家内に付き添ってもらい最初のG大学病院へと向かいました。
まあ緊急対応してくれると思いきや、ベッドで1時間以上寝かされ、BGMに脳外科の内輪話が「白い巨塔」のようなもんです。
再度CTをとり「何ともないです。整形外科で見てもらってください。」とのありがたい診断で、またまた整形外科で待たされ、これってなに!!!!!と叫びました。(心の中です。もちろん)。
でまたまた「心配ないです」って冷たいもんです。
それで薬をもらい高いタクシーでまたまたうちに帰りました。
9月11日に診察がありその場で「診断書」をもらいました。
たしか5000円でした。

tys0130 at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月24日

手足のしびれで知る頸部脊椎症1

a9227d34.gif事故後、G大学病院で私が気を失っている間にテキパキと検査が行われていたようです。
脳神経外科と整形外科でレントゲンとCTで頭を撮影したようです。
気づいたときはすべては終わっていました。頭を8針処置。全身打撲。まあこの辺で死んでいてもおかしくないと後になって気づきましたが・・・
なんと即日退院と相成りました。
それで、上司がきていたので「労災でいいですか?」と聞いていた私はなんとお人好しでしょう。と後からまたまた気づきましたが・・・
精算は書類がないのでとりあえず払えとのことで金額はなんと7万円以上でした。
この私が持っているはずもなく上司に聞くとやはり持ち合わせがないとのこと。しかし目の前には三菱銀行のATMがある。
しかし私はの通帳にそんな大金はない。保険制度が3割負担でもありがたいと死にかけた私でも一瞬思いました。
貧乏人はこうして死んでゆくのだなあ・・・ 
と精算所をよく見るとVISAマークがありカード払いができるではないですか。
ふん!こういう場合は会社の上司が知らぬ間に会計するのにとか思いながら上司の目の前でカード払いしました。
さて激しく捻挫した左足が痛みます。
なにやら左手の親指と人差し指も痛いです。
あと左手の擦り傷も痛いです。

tys0130 at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

気づいたら頭から血が出ていた。1

75d1eb83.jpgその日、お昼が近いので点検をしていたのを切り上げるところであった。11時20分頃だと思う。
と次の瞬間、寝て起きた感じで気がついた。めがねが割れ何が起こったか理解できなかった。同僚に声をかけ下に降りてくるよう頼んだ。とりあえず控え室に戻り、着替えをした。
下請け故、守衛に気づかれずにそっと病院に向かった。このときは会社に迷惑にならないようにとばかり考えていた。
幸い近くにG大付属病院があることを知っていたので、付き添っていた者を返し作業を午後続けるよう指示した。受付までの記憶しかない。
次に気がついたのは午後5時頃、病院の通路で座っていた自分がいた。

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2005年08月22日

はじめに1

9a15b0af.jpgはじめまして。昨年、仕事中に10メートル下へ転落事故に遭い、後遺症に悩んでいるものです。23歳の時、交通事故で、死にそうな事故を経験しましたがそのときは全然、悩んだ覚えがありません。やはり若かったせいですね。私は今51歳の男性です。妻子あり。高校1年の女子の父親です。ということで「健康」はお金で買えないことを身をもって知らされた心境とか、いろいろなことをこの場で記録していこうと考えた次第です。

tys0130 at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)