2013年09月

2013年09月29日

その後

相変わらずの毎日である。
仕事はしていない。

だから暇である。
かといって仕事が出来るほど回復したわけではない。
少し良くなったかなあと言うところである。

でも夕方は相変わらずで頭の中が割れんばかりである。
で入院していた頃と変わらず寝てばっかりである。

男59でなにやってんだかなあ。
後20年は人生あるって言うのに!

こんなときはつい昔のことを思い出してしまう。
ターニングポイントは何度もあった。
いまさら悔いてもしょうがないが
いくつもの失敗でこうなったかと思うと情けなくなってしまう。

しかし病気だから仕方ない。
何やっていても今の状態になっていただろう。

高校生の時、学校で倒れたことがある。
隠してはいたが病院の先生に高校生くらいの時何かありません
でしたかという質問をうけたとき思い出したよ。

10月8日次の診察日だ。
紹介状を貰って専門の大きなところで見て貰うか検討中。
少しは良くなってるのが幸いだ。

なおしたらアルバイトでもしてみたい。
とにかく時間の過ぎるのが遅く感じていやになる。

早く元気になりたいものだ。


tys0130 at 12:14|Permalink

2013年09月18日

足寄紹介

8月25日から暮らしている足寄を紹介しよう。
松山千春や鈴木宗男を輩出した町として知られてはいるが
場所もわからない人がほとんどだろう。

私が高校生の頃は1万3千人いた人口も8千人くらいになり
鉄道も池北線といい通学に使っていた。

それが第三セクターの「ふるさと銀河戦」となり平成元年に
廃止されバスがその代わりをになっている。

アクセスは羽田空港から帯広空港へとまず向かう。
たぶん2時間はかからない。
空港から帯広駅までバスで1時間かかる。

ここで「帯広〜陸別」行きのバスでさらに2時間。

ただし帯広空港からレンタカーを使うと日帰りも出来る。
実際、法事の時この方法で帰ったこともある。

場所だが道東となる。マリモで有名な阿寒国立公園の一部も
足寄町にはいる。

町村合併で正確にはわからないが知ってる範囲では「町」
として日本一広い面積を持つ。

産業は農業と畜産後多少工場がある。
人口が減ったせいで高校時代の活気は今ない。
4クラスあった高校でさえ隣の高校との合併話も出るくらいだ。

松山千春の税金のせいかどうか施設は病院を始め
温水プ−ルや公式試合の出来る野球場、テニスコート
など税金が投入されている。

ただ働く場所がないので高齢化はまだまだ進み人口流失も
続くと見られる。
観光資源と行っても松山千春巡りとオンネトーくらいで
寂しいものだ。

つつましやかに酪農を営む安定した人もいる。
人生どこに行ってもたくましく生きている。

私も来年60歳になるが昔は50歳が寿命だったらしく
60歳は還暦の祝いをしたものだ。

残りの人生どうなるか皆目わからないが静かに暮らしたいものだ。

tys0130 at 19:34|Permalink

2013年09月15日

入院したけど

入院したけど余り変わらない状態です。

たしかに薬を替えたせいで口の中の
ぐるぐると廻る感じはなくなりました。

これは前の先生にも言われていた副作用が
原因で強い薬を使っていたせいです。

ちょつと変わったのは、朝の寝起きの時の
状態が良いことです。

それも1時間くらいすると元通りになって
しまいます。

頭の後ろがしびれてくると具合が悪くなります。
あと右足のあたりがおかしくも成ります。

こんな事では集中力も出ずただ休んでるだけ。
将来も不安になろうもんです。

食事も口の下半分がおかしいため楽しめません。

せめてインターネットが出来ることが楽しみです。

治ることを信じて頑張ります。
そうすればアルバイトくらい出来ます。

人生長い不幸も幸福もないと本に書いてありました。
全くその通りだと思います。

tys0130 at 17:58|Permalink

2013年09月11日

入院する

7月25日北海道に帰ってきました。
インターネットがないのでブログも
書けませんでした。
8月9日迄家でゆっくりしていましたが
症状も良くならず車で2時間の
帯広厚生病院の精神科に行きました。

入院するつもりで準備していきましたので
医者に通うのは無理だから入院させてくれ
と頼みました。

症状が重いのを知り医者の判断で入院と成りました。

ここからは携帯電話に記録した内容を書いていきます。

「8月9日」入院生活始まる。
平成25年8月9日それは始まる。
朝から外来で待たされ15時半から診察開始
1時間ばかりかかった。結果入院と成った。

「8月10日」病院の夜は怖い
ここは「精神科」の閉鎖病棟だ。
夜は21時半消灯だ。
ここから看護師の出番だ。
ナースコールを何度も押して眠れないと
やかましい。ちなみに入院したのは6人部屋
だった。
眠れないのは昼寝をしすぎるからだ。
後は声を出して廊下を徘徊する者。
朝の起床時間まで続きてんてこ舞いだ。特に怖いのは
鍵のかけられた個室からの叫び声だ。
昨日は何度も目が覚めて慣れるまで大変だよ。

「8月11日」「堀江貴文の「刑務所なう」について
「刑務所なう」は堀江貴文さんの獄中で書かれた
メールマガジンを元につくられたものである。
刑務所は3畳1間だから6人部屋とそう替わりがない。
まあ違うのは自由度が全く違うことだ。
そんな中で毎日の食事とかその日あったこととかを
毎日記録するなんて私には出来ない。
最低の環境でも仕事が出来る典型だと思う。

「8月15日」何も変わらない
今日で入院7日となる。
しかし症状はあい変わらず悪い。
レントゲン、血液検査、MRI等々検査したが
悪いところはないらしい。

薬も替えたがいっこうに良くならない。
やはり時間がかかるのか。
焦ってもしょうがない。

「8月16日」小林さんと佐藤さん
同室の二人には悩まされる。
かたや1日50回はナースコールを鳴らすもの。
かたや「痛い」と泣き叫ぶもの。彼は
車いすから落ちて骨折し手術まちで痛いのは
当たり前。どちらも安眠妨害だ。
いやあ6人部屋は大変だ。

とここまで携帯電話に書いた日記だ。
あとは同じ事の繰り返し。病状は
多少改善が見られるものの口腔内の異変は続く。

そうして脳波を取ったり神経内科にかかったり
一通りの検査をして薬も替えて9月9日に
32日間にわたる入院生活と別れを告げた。

昨日10日に引越荷物からパソコン一式を取り出し
今日、ドコモショップでUSBタイプの無線端末を
手に入れこうしてインターネットの世界に復活した。

明日はわからないけど一生懸命頑張るつもりです。





tys0130 at 23:54|Permalink