KT病院へ行く。私は足寄で生まれた。その4 逡巡

2007年06月22日

私は足寄で生まれた。その3 出会い

f2dec654.jpgそれは私が26才、彼女が18才の時だった。
当時、私は簿記の専門学校に通っていた。

大学を出てつとめていた楽器店をやめて
(理由は営業がいやになったのが半分、
免許取り消しになったのが半分)

製糖工場で半年、寮暮らしで働きお金を貯めて
札幌で4月から学校に行っていた。

15時に学校が終わり、ススキノにあるヨークマツザカヤ
(現在のロビンソン) で夜21時過ぎまで働き帰ってから
宿題をしたりして勉強していた。

おかげで半年後には日商2級をとった。

ある日、バイト先に女の子が配属された。
その日のことははっきりと覚えている。

ジーンズのスカートをはいた女の子を私は
一生忘れない。

といってもつきあい始めたのは半年後のことだが・・・・
風の噂で暴走族の彼氏がいるということを知った。

なにげなく何ヶ月か過ぎた。
いつしか話をするようになっていた。

話を聞くと彼女も違う簿記学校に通っているという。
土曜日に私の通っていた学校に試験を受けに来るという。

当時、私は学校近くの6畳一間のアパートに住んでいた。
さそってみると終わったら遊びに来るという。

部屋は楽器屋に勤めていたぐらいでオーディオは
100万以上のものを持っていたしレコード(古いっ!)
も500枚以上持っていた。レコードは毎月相当買っていた。

ロックとフュージョンとジャズがほとんどだ。

部屋に来てちょっとびっくりしたようだ。
いまでいうオタクだからね。

ということでつきあいが始まった。
もちろんプラトニックな関係だ。

ディスコに行ったり飲みに行ったりあちこち遊びに行った。
アパートの鍵も渡し一人で部屋で遊んで帰ることもあった。

そうしてつきあいは続いていった。
彼女は卒業して銀行に勤めた。
私は近くの植物市場の経理になった。

暴走族の彼とつきあっていた頃と違いJ PRESSの洋服を
彼女はよく着ていた。

私が当時のアイビーでVAN がつぶれたとき人に着るものがないねと
言われるほどだった。Mc Sister(女性版の雑誌)を愛読していたのを
彼女は当然知っていたから・・・・

楽しいときは続かない。厚別に私の勤めている会社が移転し
8畳と6畳の部屋に引っ越していた。

ある夜電話が鳴った。
弟が奥さんとダンプカーに雨天滑って正面衝突して即死で
奥さんも同様だとのこと。

足が震えた。体全体が震えた。

つづく・・・・・・・

(注:一部写真は引用させていただいています。)

ススキノ01



tys0130 at 18:25
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